うつくしい劇伴

そんなこといわないでよ

美しさってなんだろうね

 

 

こんばんは。きょうの歌詞はandymori - クレイジークレーマー

クレイジークレーマー 美しさってなんだろうね

お前だよとまでは言えるわけないけれど ひまわりを見に行こう

 

ずっと美しさについて考えてる人生です

 

美しさってなんだろう、

 

個人的には、たとえば、美しい景色を美しいなあって感じることが小恥ずかしかった

自分で言うのはアレだけど、小さい頃、自分のこどもらしくないところをなんとか幼くしようとしてた

美しいと思ったところをわざわざ「綺麗」と言い換えたりした

こどもながらに美しいと感じた場面はいっぱいあったはずだけど。

大人びた言葉遣いをしようとして大人に笑われるのが嫌だった

 

ようやく美しいと思ったら美しいと、そのままの気持ちで言えるようになった気がする

それがうれしい

"うつくしい劇伴"というブログの名前も然り。

たくさん美しいものを見た

そして目に見えなくても美しいものがあるんだとも知りました

ブログの名前然り。

 

 

全然話は変わるけど

この前テレビでやってた

アメリカのでかいコンテスト、"ミス・アメリカ"は、水着審査をやめて、身体的な美しさではなく心の美しさ、教養とかを審査するんだって。

なんかなー

スタイルの良さも個性であり、努力で磨かれたものだろうからなーそこを評価しないのは、なんかな。

そこを見ないなら、なんならもはや別の大会作ったらいいんじゃないか…って思いました

生まれもった美はフル活用すべき

努力の美はなおさら

 

 

シンデレラは結局、働き者で心優しいうえに、着飾ったらめちゃくちゃ美人だったわけで

もし私(醜貌)が仮に、仮に!働き者で心優しかったとして着飾って舞踏会で王子様の心射止められますか、つう話なんです

 

人は見た目が何割〜ってよく言うけど

あー、美しさの無い者にはきつい話

美しさは人間が他人を評価する上で無視できない一つの項目であることは確か

うわー!つらくなってきた

ここまで書いて、こんなにもルッキズムに囚われまくっていることが顕著に出ていることに気づいた

私は自分が気になるだけで他人のことはどうでもいいんだけどね

でもそういう考えが理解できるのは、きっと囚われてるからだ

 

ノートルダムの鐘観て美醜について考えた末、泣いたことある

ハウルの動く城観て「私が美しかったことなんて一度もないわ」と言ったソフィーが本当は美しいのがわかるから、

共感するようでできないなと思ったことある

 

美しさってなんだろうとだけ考えていればいいのに

こんなに卑屈になってまで考える自分は心まで醜い

うわあ、嫌だわあ

はやく、呪縛から解き放たれたいね

 

めちゃくちゃ話が逸れてしまいました。

でも、美しさってなんだろうね、ほんとにさ、

誰にも共感されなくても、自分が美しいと思うものは美しいよね

 

ずっと考えてる

 

 

 

おわり