うつくしい劇伴

そんなこといわないでよ

言葉がなかったら

 

こんばんは。きょうの歌詞はMONO NO AWARE - 言葉がなかったら

言葉がなかったら

迷わず抱きしめてたろう

手紙を読み返し

泣く手間も省けてたろう

 

最近よくこちらのバンドを聴いてます。前からちょいちょい聴いてたけど、今、はまってる

言葉っていうものが好きっていうか、きになる存在なので

言葉がなかったらよかったなあとかあってよかったなあと思ってたらそのまま歌詞にされてしまっていた まるで自分が原案かのようなことを言ってる

ありがとうとか、好きだとか照れくさくていうのが難しくて、私は冷たい人間だと思われてるかもしれない

本当はもっと素直に言えるようになりたいのだけれど、人間だから言葉を使って。

でも言葉にしない方が美しいこともある。私なんか、余計なことを言っていつも誰かを不快にしているだろうから、本当に失言をしたくない、なるべく黙っていたい。スケットダンスのスイッチみたいにパソコンで文字打って会話したい。

 

言葉にしたら醜くなることも言葉にしなければ忘れてしまう。

みたいな歌詞がこの曲の中にあるんだけど、本当にその通りで、感情のままに書いていた日記、めちゃくちゃな文章だったけどその時自分がどう思っていたか苦しいことどうやって乗り越えたか、というか苦しみ悲しみとかどうやって抜け出したか、とか、正直な言葉見て糸を手繰り寄せるように思い出すことができた

捨てちゃった日記のことです。

いま苦しいです、読めなくて、わからなくて、苦しい

代わりにたまに昔やってたブログを見返す。

 

私のブログはただの日記、自分が思ったことを薄べったく伸ばして貼り付けてるだけの、誰かをはっとさせることもなければ、誰かの心にべったりと指紋をつけるわけでもない、得もないけど、損でもない。いやどっちかというと損かな。でも害はない。利益もない。

心がないんです、能がないんです

ただの日記でもないのか、もしかして。これはなんだ。なんでもいいか。

 

考えさせられる話だった、って感想の時と、感想は特にないです、って時と頭の中同じ状態な気がするなあ、考えさせられるってまだ考えるとこに入ったばかりでしょう、じゃあ一緒じゃんて思うなー、私は特にないです派

私が考えさせられるって言うときは考えることを放棄しているときです。

 

高校時代、課題作文のための小説をパラパラめくって、ちゃんと読まずに、文庫本のカバーに書いてあるあらすじみたいなとこだけ読んで書いた感想文が生徒会誌に載ったりして、翌年別の本もうちょっとちゃんと読んで書いた感想文は選ばれなくて、ってことがあってわけわからんかったな。その時は文章よくかけてたんかな。割と正しい感覚で想像できてたってことなのか?

でも、考えさせられるとかどうせ書いてたと思う。多分

 

ちょっとぉ、長っ 

今回はこのくらいで勘弁してやるわよ。

次回も言葉についての曲から歌詞引用しようと。

 

おわり