うつくしい劇伴

そんなこといわないでよ

さようなら

ひさしぶりにブログを開いてみると、8月で更新が途切れていた。もう12月、も終わり。書きかけの下書きがいくつかあった。10月の記事の続きを書いて、今年のブログを納めようと思います

大森靖子 - さようなら

 

 

スタンプラリー最後の一個

銀のエンゼルもあと一枚

 

 

誰からも見えなくなりたい、肉体を失くしたい、そんなことを考えているくせに、毎日身だしなみをそこそこに整えるのが馬鹿馬鹿しいな、でも一度手にしてしまったものを全く気にかけないのは難しいからこうやってそこそこにやっている、おばあちゃんになっても私は、手のひら見てしわしわだなとかわざわざ思うのだろうか

今日もおかしな前髪だな

元気になる方法はよく知らない、元気の逆の状態になる方法ならいくらでも知っている、こんなライフハックいつ使うんだろう、誰かの同情を誘いたいときかな、お手軽な感傷とフワフワ責任感が許されるのは10代までだよねー、ちゃんとしなきゃっていう気持ちが自分を苦しめてる。もっとヘラヘラしてたいのに、実力無いからヘラヘラする権利は無い、努力をしないと人生楽しむ権利も得られない、ってなんの強迫観念なのか?ふつう、にしてたいのに、ふつうに。

 

さよならも自分で言えない大人になった、ありがとうとごめんねがギリ言えるからいけると思ってたけど大事な挨拶言えなかった。さよならも言えないなんて、無責任な、と自分でもできないことなのに、なんの強迫観念なのか

ブラウザの開いたタブを全てばってんマーク押して一気に消せたらいいのに、いくつも開きっぱなしにして367個も溜まっている。私の終わりと始まりはいつもグラデーション、また見るかもって閉じないでそのまま、また新しいタブを開いて、いつまでも終わらない、終わることがこわくて保険をかけ続けている、そんな自分というシステム自体いつか終わるんだ

ずっと何言ってるんですかね

でも音もなく消えるなんていうのは無理なの、嫌だなぁ無かったことにならないのは

なんの痛みも感じずフワフワと、ス〜と生きてたいのにな、喜びがわかるとその逆もわかっちゃう、今年も無事に終わり、と安心もつかのま来年が始まったらまた一年頑張らなきゃいけないなまあタブを閉じずに頑張らせてもらいますけどね

良いお年を

 

 

おわり