うつくしい劇伴

そんなこといわないでよ

メモ 2020年7月6日

 

そこから動こうとしないのは太陽が出てる間に外に出て夕日に背を向けて歩いて帰るのが嫌だからっていうのと迎えにきてほしいからっていうだらしのない期待、せめて雨でも降っていてほしいと思った、一人でいる理由がほしい、昨日と今日、今日と明日が音もなく途切れずに続くしんどさに創作の醍醐味を見出そうとしたけど無理だった、目を見てまっすぐ正しいことを言う君のことを好きになるのは、きっとまっすぐ正しい人、曲がった針金はペンチで切った君、憧れだったけど、曲がってる私はそれを見てさらに曲がってしまった、遠のくしかなかった、入ってこないのよ、言葉が、感覚器官に入ってこない、鼻に真水が入ると痛いのよ、だから一緒にいられないんだって、残酷だよ言葉は、エモいの一言で片付けられたらどんなに楽か、私は、天井が高い部屋にいるほうが息が苦しい

この街には君がいない

 

こんばんは。きょうの歌詞は忘れらんねえよ - この街には君がいない

ちっぽけな人生を

引き換えにして 引き換えにして

そこへ行くんだ

 

出オチかもしれないけど。「この街には君がいない」

ここ数年でわかったこと、2月は、私にとって別れの季節を象徴する月みたいです。(もう3月もおわり。この記事は2月に書きかけだった)そして、私にとって3月は、あるようで、ない時間が流れている。目を背けているだけです。

2月って一年のうちでわかりやすいイベント無いし寒いだけでなんにも無いけど、環境の変化を気にしなきゃいけないというか気にせざるを得ない月、そわそわしていないと気が済まない(気持ちはそわそわしているがからだはのんびりしている)。望まないお別れが発生したらどうしよう。そもそも別れを望んだことはない。

いつだってかなしいことから目を背けたい。私はほんとうにわがままかつ弱虫だから、受け入れられなくて泣く。子ども心そのままに大人になった そういったかなしみ情報を一瞬で処理できないのは、この世界で生きてたらだいたいの場合都合が悪い

誰かに話すだけじゃ共有しきれない自分だけの絶望をみんな抱えてる。私もうまいこと誰かに伝えて分散させようとしてるけどそううまいこといかない。友達少ないんだ、というか自分が自分であるってところを人にあんまり見せられないんだ

だから必要なんだ、どこかに行かないでほしいと思ったんだ もうどこにも行きたくないと思ったんだ、そこには、自分が自分であることを見せられた時間がたくさんあったから

恥ずかしいけど、それこそが本当の時間だったから

でもそんなふうに、私のメリットを伝えたからって、だから行かないでなんて言えるわけないの かけがえのない時間をありがとうってだけだから、またね それだけで

またいつか一緒におなじ空間時間にいられたらうれしいなってだけ

わがままです

私も、踏ん張っていきがって絶望の先、絶望の先、いかなきゃ

 

 

おわり

 

 

 

 

外に出たい

 

春が恋しいなぁ。まだ2月もあるのに。

ちょっと前にピクニックに行った。1月とは思えないあったかい日だったなぁ

柄にもなく張り切ってサンドイッチ作って行った。いちごも持って行った。大張り切りで。遅刻した。

公園の水辺にレジャーシートを敷いて、まんなかにサンドイッチを置いて、ふたりでそれをサンドするように座って(ここでサンドイッチだけにと言うのは違う気がしているな)、目の前に鳥と人が集まってるのを見ながら食べました。

しゃぼん玉吹いたり食べたり、うまく食べれなかったけどそれがまたおもしろくておもしろかった、ずっと笑っていた、とっても平和を感じた、あったかい日だったけど風も強くて、フリスビー投げたら運動神経なさすぎるのと風吹きまくるのと相まって川に落ちて近くにいたおじさんたちに笑われておもしろかった、平和を感じた、拾えたのでさらに平和だった

はしゃぎにはしゃいで、久しぶりのからだの疲労感と心の充実感、これもしかして…ほんとうの人間の在り方だな?と思った。これが人間の営みの原点…ピクニック最高、てか、屋外、最高 インドア人間だけど外でぼーっとしたりお散歩するのは大好き、おばあちゃんの素質がかなりありそうだ、いまに始まったことではないけど

なにせ、晴れた日に外に出てるだけでも気持ちがよくて最高なのに、隣に座っててくれて笑いかけてくれてサンドイッチ食べてくれて運動神経わるわるなのに遊びに付き合ってくれてる人が居て、すなおに幸せで内臓まであったかくなった ああ、こんなにうれしいことはないな、となんか昔の漫画みたいな作りものみたいなせりふがふきだしになって自分のなかに浮かんでた シンプルすぎる感想

ちょっとあんまり書くとのろけてて恥ずかしくなっちゃうので、ぜんぶはうまく書き表せられないけど、あったかい日の思い出。。

また天気がいい日には外で遊びたいな、だからはやくいろんなことが落ち着けばいいな、はやく花も咲いてほしい

 

おわり

 

 

 

 

傷つきやすいあなたに

 

ある日の日記を載せる

記事のタイトルは 踊ってばかりの国 - アルビノのコウモリ から。

 

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朝から活動できるっていいな。何もなくても、もっと朝から活動したい。早起きして眉毛サロンに行ってきた。びっくりするくらい太眉に描かれてしまったけど、それはそれでアリなのかなって思って一日過ごしました。美容院にも行って、一ヶ月半ぶりに髪切って染めて、またたっけぇリップ買っちゃって、お金ないのに、あーあ〜かわいいの判定ゆるいと、お金がかかる。親に大学通わせてもらって、いままでたくさんお金と手かけてもらって、その思考にその嗜好はクソなめてるな、お前は世の中のために何かしろ、お前はお前のために生きるなって自分の中のえんま様が、言ってるけどでも、それがなかったら人生の何にたのしいと思ってたかわからないなぁ。これでいいんだ。と思いたい。池袋で献血のご協力お願いしますって、声飛び交う間の道を通って、こんな血でも役立つなら、やらなきゃいけないなって思ったけど、誰のためにもならない傷がある腕を見せるのはまだ気が引けてできなかった。
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個人情報みが強いところは(個人情報みってバカっぽいな、かなりバカ)一部表現を変えちゃったけど

この日記を書いた日からもうちょっとで一年経ちそうだけどいまもこんなどうでもいい過去の自分に同情してしまうくらいなにも変えられていない、日常を、自分の精神を、でもいろいろ葛藤はあって、一応乗り越えたけど

そういう経験が自信に変わるとかいうわけでもなく、ただ通り過ぎた、私は弱い、だからこそちょっとつらいことをなんとかして、というかなんらかの作用でなんとかなった結果まだ生きてられてて、よかったよね〜って感じで終わってしまって、いやよくないなそれ、なにも進歩してないんだから

弱い自分のまま通り過ぎてて、環境に合わせて進化してきた生き物みたいにはなれなくて、環境に完全に合わせるのもしんどいからごまかして弱いままで生きて死ぬんだろうな、天敵に負けるどころか寒くて動けなくなって

私は卑屈だけど自己肯定感も低いけど、自分を貶しながらも自己愛で生かしてる、自傷行為は自慰行為(じゅげむのリズム?)、って言ったら、私としては違うと思ってたけどもしかしたらそういうことだったのかもしれない、認めたくないけれど

嫌いなくせに自分を大事にする気持ちから自傷してたのかもしれないと思うと反吐が出るけど、自分が大事じゃなかったらもっとボロボロになるまで頑張るしその場から逃げないし、逆に自分から人生リタイアするかもだし、自己愛が私を逃した

まあ何か言いたいわけじゃないけど、死なないなら自分を傷つけるのも一つの生きるための手段なんだって思ってるから文字にしておく、いつかまた自分を投げ出したくなってもちょっとくらいやったっていい、傷一つで生き延びられるんだし、と、いやこれは楽観的になっているわけではないよ、これを見た誰かに勧めたいわけでもない、傷は自分を大事にしたかった気持ちの分つけてきたんだと思えるようになったから 逃げていい、やめていい、けどそれができなくて終わってしまいそうなときのいつかの私と約束しておきたい

 

 

おわり

 

いまは、自分をぬるま湯にふやかし甘やかし状態

 

 

言って

 

こんばんは。きょうの歌詞はヨルシカ-言って。

きっと、人生最後の日を前に思うのだろう

全部、全部言い足りなくて惜しいけど

あぁ、いつか人生最後の日、

君がいないことを

もっと、もっと、もっと

もっと、ちゃんと言って

 

年が明けました

今年もよろしくお願いします

 

この前書くと言って書かなかった言葉の話をしますか、いやそんなん忘れたわ

私が言葉の存在に固執しすぎているだけなのかもしれないけど、言葉で伝えることは大事だという大前提で生きてしまっているから、言葉で伝える以外の手段で何かメッセージを送ったり送られたりっていうのは私にとってイレギュラーな出来事であって良くも悪くもどんな場合でもまず第一に戸惑ってしまう。基本的に人間は言葉でしか分かり合えないと思っちゃってるんだ22歳のくせに…もっといろんな経験をしてる人はそんなことはないって思うかもしれない、目を見たり、触れたり、心で通じあったりってことがあるのかもしれない、勝負事が終わった後のハイタッチや抱擁、そういう経験がない、言葉以外では確信を持って受け取れない

なのに、人の目線はこわい、勝手に受け取ってしまう、あと無視も確信を持って受け取れないわりに意味ありげな場合が多いからなにか勘繰ってしまってつらい

こんなことが言いたいんじゃないんだよなー

この歌は誰かと二度と会えなくなってしまう状況でもっとちゃんと言ってよ〜って訴えてる

ふと人の命に終わりがあること思い出してこわくなる、大切な人はいつかみんな死んでしまう、その前に自分が死ぬかも、もう会えなくなってしまうかも、もう話すこともできなくなってしまうかも、こわくなる

自分がいつ死ぬかわかったらその人に会いに行きますか?その人がいつ死ぬかわかったら、会いに行きますか

最後に一言、なに言いますか

あーーー死ぬ死ぬ死ぬ死ぬうるさーい

でも死んだことないんだから死ぬことに憧れるのは仕方ないことなのよ許してほしいよ

みんなも、死にたくなることってあるよね

メンタルもうなんかダメです キモ…泣

 

言わなきゃわかんないよ、言っていいのかわかんないよ、言わなくていいこともあるしもうやめようごめんなさい

 

 

おわり

 

 

 

 

二律背反

 

ジョンレノンのImagine、世界中の人に愛される曲、美しい歌詞だと思う

平和を願う純粋なことば。想像してごらん、天国なんてないこと、地獄もない、私たちの上にはただ空があるだけ。すてきだな

嬉しいときに素直に喜ぶ、かなしいときに素直にかなしいと思う、ちゃんと怒る、感謝する、いろんな大事な感情を、いろんな人や物事に揺さぶられて、心は育ってきたはずなのに、まだまだ未熟だ、すぐに壊れてしまう。感情が動くだけでエネルギーを使いすぎる。それによってまた無駄な思考を始めてる

きれいときたない、好きと嫌い、嘘とほんとう、極端になりたくないのに、どっちかでいなきゃいけないから、決めないといけないことがたくさんあるから、行ったり来たりメトロノームみたい、三半規管が強くなきゃやってらんない。私はたぶんきたないから、吐き気がするほどきれいな何かにふれたらよごすどころか溶けてしまいそう、でも私はたぶんきれいだから、私の中の秩序を乱すきたないものにかんたんに染まってしまう

ドブで生きる魚はきれいな水では生きられないそれは逆も然りなのだ、でも私は?どこにいても苦しくなる、環境がきれいでもきたなくても、自分の中身をぐちゃぐちゃにして適切な自分を探す、クローゼットをぐちゃぐちゃにして今日の天気に合ってる服を探すみたいにして、探す、何を見つけても自分じゃない気がしてる、そこでまた疲れる

まるで自分がいろんな何かのために柔軟にトランスフォーメーションしてきたみたいな言い草だけど、結構頑固なとこもある。だから、自分のこういうとこが無理

ジョンレノンだって、めちゃくちゃロックしてたのに。平和とか言い出したし。家庭あったのに女つくって。でもやっぱりすばらしいひとだった。これからもずっと

揚げ足取りできるほど私は正しくない、でも私だってきっと間違ってない、そこが揺らいでかなり気持ち悪いことになってる

結局、自分の哲学以外を受け入れられないと居心地悪いんだ、その点、宗教ってすごいよな最後までチョコたっぷりだもん

なにもおそれずに信じてみたいよ、愛してみたいよ、なにかを誰かを

信じてほしいよ愛してほしいよ、私を

 

おわり

 

 

二律背反っていうのは、むずかしい言葉をただ使いたかっただけです

『あしたのジョー』の今日は常にイヴだ

 

こんばんは。きょうの歌詞はDOTAMA - 2012年にクリスマスが終わるfeat.ハハノシキュウ

先の話なんてしたくもないし 死んだ人の誕生日なんて切ないし

明日事故って死ぬかもしれない そういう歌を僕は歌いたい 

クリスマスが近いので好きなクリスマスソング(?)を。季節関係なくこれはよく聴いている。ピアノの不安になる感じの音が心地よくて癖になります。イントロからおしゃれ。リリックもなんかちょっと深いでしょ、この記事のタイトルもちゃんと歌詞だけど面白いでしょ

明日事故って死ぬかもしれない

そういう歌を僕は歌いたい

ってとこが特に好きで、でも自分は、"今日を精一杯生きなくては"系の人間ではないのにね、「あなたが死にたいと思った今日は誰かが生きたいと願った明日だ」みたいなね(正しい元ネタとかを知らんけど)、なんなん?うるさって感じなのにね、「死ぬこと以外かすり傷」って言う人、かすり傷に保険適用されると思ってるのかな?ってずっと言ってるんですけど誰かにウケたことあるのかなこれ関係ない

今日を人生か地球かなんらかの最後の日だと思って生きろってそんなんことできますかい?

でも明日事故って死ぬかもしれないのは本当、それ、なんですよね、、、明日事故って死ぬかもって思って、よし今日も頑張って後悔のないように生きよう!てなるかっていうとならないけど、だって疲れちゃうから

今日は事故って死ななかったけど明日は事故って死ぬかもしれないな、ってぼんやり思うだけで…何も変わらないけど、こんなのんきな考えがいつまで続くのか、平和ボケしている、もっとこわい目に遭ったら変わるのかな。いや平和ボケではなくて真剣に平和を考えてるんです、平和でないと私が人生している意味ない

今日まで持ってたものを急に明日なくすかもしれないことを真剣に頭に入れておくほうがこわいからぼんやり考えて何もしないんだ、何もしないのが一番よくないのになーてか何もできなくなってしまうー、無気力ですね、スチューデントアパシーだ、もうすぐ学生ではなくなるのに、ただの人間になってしまうのに、ただの人間憧れてたのに、全然変わらないから変わらないね良し悪し

変わらないのが一番楽だし変わりすぎると疲れてしまうから

今のまんまでいいような気もするけど今の自分満足できる訳じゃないし

てね、どっかに行きたいなーどっかに飛んで行きたいなって思うのにずっと家にいるしなあ、健康な若者として損な生活してる気がしてる、でも逆にそんな気持ちが肯定されるような一年だった今年は

毎日てきとーだからもうセーブしないで電源切りたい。セーブしないで今日を終わらせたい、大事なことと自分を苦しめないものだけを持って明日にいきたい、先がみえないから今日と明日の繰り返し

キリないぜ

 

おわり

 

【MV】DOTAMA×ハハノシキュウ 『2012年にクリスマスが終わる』 - YouTube